1925年大分県生まれ。7歳より東京に居住。慶應義塾大学予科在学時に写真サークルフォトフレンズに入会、野島康三の指導を受ける。47年9月に慶應義塾大学経済学部卒業し商社に就職するも、三木淳に誘われ名取洋之助が編集長であった「週刊サンニュース」の編集部員となる。49年、名取の誘いを受け「岩波写真文庫」の写真部員となる。退社までに約60冊の撮影を担当。このとき手掛けた『東京』『東京案内』がきっかけになって、東京をテーマに撮り続ける事になる。54年にフリーとなり、「カメラ毎日」などでルポルタージュの発表や「朝日ジャーナル」の社外ディレクターでのグラビアページの企画、編集とで大きな反響を呼ぶ。この時期に、時代の優れた随伴者という評価を得る。60年代からは映画やCMでも活躍。市川崑、羽仁進、大林宣彦監督の映画の撮影監督をしている。80年代から始めたシリーズ「遠い視線」で、自らの暮らしを取り巻く環境への興味で、東京の町を撮り続け、新たな評価を得ている。また時代との関連のみで語られて来た初期の写真も長い時間の経過によって、ようやく写真そのものを見れる環境が生まれ、再評価されつつある。今も続く「遠い視線」シリーズや改めて長野さんの写真の持つ、対象との独特の距離感の魅力が感じられる近刊の『香港追憶 HONGKONG REMINISCENCE 1958』などなど、今また注目すべき存在。(柳 喜悦